本堂の障子を新しく替えました

今日、本堂の障子紙を新しく替えました。

以前、地元川口の経師屋から葉書でダイレクトメールが来て、はじめてお願いしました。
とても腕の良い経師屋さんで感じもよい方で知り合えて良かったです。

あわせて、網戸もとりかえ。

全ての仕事を一日で仕上げて下さるお客様の立場に立った仕事でありました。

本堂内がとても明るくなり、お不動様も聖天様もお喜び頂いている事思います。

妙義龍関 断髪式

2025年10月5日、両国国技館で行われた妙義龍関の断髪式にお招き頂き参列させていただきました。
約400名がはさみを入れる中、私もその一人としてお役を務めました。

まだ無名の頃からご縁をいただいてきた妙義龍関。
光明院にも来て下さいました。
堂々としたお姿と、会場を包む温かな拍手に胸が熱くなりました。

最後はお子さんとの取り組み、師匠の止めばさみ、お母様からの花束。
笑顔があふれる素晴らしい式でした。

妙義龍関改め振分親方の今後ますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます

〈本当の生きる力をみなぎらせた竹灯り能登半島ボランティア活動〉

光明院竹灯りの先生、藤島瑛讃さんの寄稿文です。

今は光明院の非常勤で働いてくれております。

能登半島にボランティアに行き、ある一人の男性から次のような言葉をいただいたそうです。

その一文です。

「あの日(震災の日)にすべてを失いました・・・。今も失い続けています。正
直もう生きていくのがつらいで す。でも、この灯りをみて、生きててよかったなと思えました。もう少し、生き
てみようかな。」

涙を浮かべながら話すその姿を見て、僕も涙を流しました。
……

長文ですが、是非お読み下さい。

皆さんが能登半島の現実を知っていただくことが復興の一助となります。

光明院住職 荒井正道


藤島瑛讃さんの寄稿文

空が広く、海は青く澄み、空気も綺麗で、とっても素敵で素晴らしい所でした。人も暖かく、食べ物も美味しい です。伝統工芸のまちでもあり、日本の文化を継承し守ってこられた場所でもあります。後世に残すべき日本の 土地だと思いました。
8月30日、8月31日に行われました、能登半島復興支援活動の一環として竹灯りを飾らせて頂きました。30 日は石川県輪島市河井町にある、オリゾンテさんというレストランのお店の前でライブ&炊き出し&ライト アップが行われました。31日は珠洲市三崎町小泊にあるみんなの家さんと海辺でライブ&炊き出し&ライトアップが行われました。
この活動を投稿させて頂こうか、正直迷いましたが、現地に行かせて頂くにあたり多くの方にご支援頂きました ので、感謝とご報告も兼ねて投稿することに致しました。また、まだまだ知られていない現状をこの投稿を見て 下さった皆さんにも少しでも知ってもらえたらと思った次第です。
長くなりますが、読んで頂けましたら幸いでございます。
のと里山街道の穴水を過ぎたあたりから、道路がかなり凸凹しており、ゆっくり徐行しなければ進めない道が始 まっていました。道の両脇には地震の影響で崩れた崖や地面などがそのまま残っていました。今でも瓦礫の撤去や、崩れた地面の舗装・整備のために多くの工事車両が作業しており、その作業に取り掛かられている方も大勢いたことにも驚きました。輪島市内に入ると、崩れた家がそのままになっており(なんとかしたくてもできないのだと思いました)、多分解体もなにも手付かずで進む見通しも立っていないであろう建物が沢山ありました。家だけではなく、商業施設やお店なども壊れた跡が散見され、ブルーシートがかかったままの建物があったり、この先立ち入り禁止となっている所もありました。朝市のあった通りも、見る影もなくほとんど何もなくなっていました。
現地の方は仮設住宅に住んでいらっしゃる方や、市内に疎開された方がおられました。現状、国からの支援は止まっており、どうにかしようにもどうにもできないという実態とのことでした。 輪島市から珠洲市に行く道も、通行止めの箇所が多くあり、道路も凸凹したままでした。私が行った珠洲市小泊 では、電気やガス、水道の供給がまだの所もありました。神社も崩れたままでした。河井町には重蔵神社という今からおよそ1300年前に建てられたとても歴史ある神社があります。 天冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)さまと大国主命(おおくにぬしのみこと)さまが祀られています。 境内は崩れたままでしたが、地元の方々が今でも改修に当たられていました。そして震災があった年からボラン ティアに来続けているという大学生に会いました。何人もの学生さんがいてがれきの撤去や、草取り、生活に必要なものの配給をされていて、重蔵神社さんがその拠点ともなっていました。
以上が僕が見させて頂いた光景です。 もしも、可能であれば、この投稿を見て下さった方々にも能登を訪れて頂きたいなとも思いました。
【前日譚】
少し前に遡り。。。 能登に行く前の話を少しだけさせて下さい。
そもそも、僕の地元が石川県ということもあり、昨年災害が発生してから何か地元の方々にできることはないか とずっと考えていました。しかしながら今の自分は自分の生活を何とかするのに精一杯だったので、行きたくて も行けないのが現実でした。そんな中僕が普段からお世話になっているSICILIANAさんから「今年、能登に行くけど来るか?」とお声掛けいただき、「行きたいです!」と0.2秒で即答している自分がいました。とはいうものの、僕ができることといえ ば、竹灯りを現地に持って行って光らせることくらいですし、それを現地でさせて
頂いて何か人の役に立てるのかとも悩みました。でもどうしても何か役に立ちたい、今年行かなかったら一生後悔すると思い、主催のケイソンさんに「能登一緒に行かせて頂いてもいいですか?」と伺った所「いいよ。」とすぐに返事を頂いたので、行くことを決意しました。
それからが課題との向き合いの始まりです。
竹灯りを作るのはタダじゃありません。日数もそれなりにかかります。 今の私は資金も、作るための手数も全く足りないので困りました。そこで、普段からお世話になっている埼玉県川口市役所前にある光明院さんに相談させて頂きました。能登半島の復興支援の一環として現地に赴き、竹灯りを飾って、少しでも現地の方々に笑顔になってもらいたいのですが、恥ずかしながらお金がありません。活動を支援して下さいませんか。と恥を承知で相談させて頂いたところ二つ返事で「いいよ。素晴らしい。是非。」と言って下さいました。一片の迷いもなく0.2秒でお返事を頂き正直驚きました。こんな人 が世の中にはいるんだと。あの時の即答されたお顔は今でも鮮明に覚えています。本当に何の迷いもなく真っすぐな目をされていました。僕はありがたく支援を頂きました。
出発まで残り3週間をきりました。
さて、竹灯りを作るのにも一人じゃできません。竹の伐採から、伐採後の清掃、表面が汚れているのでかなだわしと水で洗う、節を抜く、寸法にカットする、油抜きをする、デザインする、型紙を貼る、穴をあける、LEDを仕込む、組み立ての設計図を書く、倒れないための安全対策をするなど、膨大な工程が実は竹灯りづくりにはあります。そこで、いつも活動を助けてくれている、れいこさん、パパさん、壮大くん、あつしくん、りせいさん、ひしめくちる五郎さん、けんさんに「竹灯りを能 登で飾りに行きたいのだけれども、一人じゃ間に合いません。助けて下さい。力を貸して下さい。」とお伝えしました。そしたらみなさん、快く承諾してくれて、8月のものすごく熱い日差しが降り注ぐ猛暑の中で汗だくになりながら制作を手伝って下さいました。
竹灯りは穴をあければ完成なのではなく、綺麗に安全に光らせることも重要なファクターです。そこで、普段か らお世話になっている僕の恩師であるCHIKAKENさんに電材を手配して下さいませんかとお願いさせて頂いた ところ、すぐに動いてくれました。
結局、制作は鎌倉出発の前日の夜まで行いましたが間に合わず、石川の実家で続きをすることになりました。
そして金沢についてから予期せぬトラブルが発生しました。 なんと金沢についた瞬間、車が故障してしまい全治1か月と診断されました。ディーラーさんがすぐ対応してくれましたが走行不可能ですと言われ、あらゆるレンタカー屋さんに電話しましたが、週末いきなり観光地の石川県でレンタカーを探しても1台も見つからず絶望しました。これはもしかしたら行くなということなのかとも正直迷いました。半ば心が折れかかっている僕の様子を見た父がすぐに知り合いに連絡をしてくれて、なんとか1台だけ見つかったよと手を差し伸べてくれました。その知り合いの方は僕が小さい頃からお世話ったなった方で、10年ぶりくらいに声を聞きました。「1台だけレンタカー見つかったから、 能登、行ってこいよ。」と背中をおしてくれました。本当にありがたかったです。。この二人の力添えがなかったら確実に能登には行けていなかったと思います。そして、まだ終わっていない制作に関しては、実家の母やまだ 小さい赤ちゃんを育てている姉が急遽手伝ってくれました。それでも間に合いません。 すがる思いで地元の高校時代の友人に、「助けてほしい」といきなり連絡をしたにも関わらず急遽実家に来てくれました。おかげで、無事制作を完了させることができました。
翌日無事輪島に竹灯りを持っていくことができ、そしてそこでも現地の方々や一緒に支援活動に携わった皆さんが組み立てや資材の運搬を手伝って下さいました。竹灯りはイベント本番で無事点灯し、僕が今まで見た中で一番大きな輝きを放っていました。
ある一人の方に言われました。 「あの日(震災の日)にすべてを失いました・・・。今も失い続けています。正直もう生きていくのがつらいで す。でも、この灯りをみて、生きててよかったなと思えました。もう少し、生きてみようかな。」涙を浮かべながら話すその姿を見て、僕も涙を流しました。
ほんの小さな、小さなことかもしれませんが、竹灯りを灯させて頂いたことが、少しでも能登半島の皆さんの何 かのお力になれていたならば幸いでございます。ただその小さなことの裏には、多くの方の大きな支えがあった ことは間違いありません。 僕一人ではできませんでした。 改めて、ご協力頂きました皆様に御礼申し上げます。 また、現地で一緒に活動して下さった、けいちゃん、みずっち、まみさん、ケイソンさん、カイさん、ジンさん、 三宅さんとお仲間の皆さん、ご一緒させて頂きありがとうございました。 そして、現地でのアテンドをずっとして下さった、やすさん、やすさんのご家族の皆さん、ありがとうございました。 また、お会いできる日を楽しみにしております。そして、また行けるように、お仕事頑張りたいと思います。
最後まで読んで下さった皆様ありがとうございました。 まだまだ能登半島の復興は進んでおりません。進んでいないことも知られておりません。 僕も知りませんでした。そして、僕の知らない部分でもきっと多く大変なことがあるかと存じます。1日でも早く、能登半島の復興が進むことをお祈り申し上げます。

ラジオ収録

昨日、ラジオ収録に行ってまいりました。

ラジオ曲は地元川口の
FM川口 856です。

以前も一度お邪魔しましたが、今回は別の番組。

番組名はオーナーズのこだわりチュ〜ず♡DAY

パーソナリティーは小山安幸さん。
小山さんは運送会社の社長さんであり、人と人との良縁を繋ぎ、運送業界の発展、そして、郷土川口に住む方々の笑顔を作るために尽力している
エネルギッシュな社長さんです。

小山さんのご両親とは20年以上前からとてもお世話になっておりました。
今年の5/5子供の日に川口桜町地蔵院さんで再会し、あれよあれよという間に今回のラジオ出演となりました。

これも、御仏のお導き。

感謝感謝であります。

放送は

10/7(火)19時〜20時
10/14(火)19時〜20時
です。

拙い恥ずかしい話ばかりですが、小山さんがうまくリードして下さり無事に収録できました。

こちらの都合で夜遅くの収録となりましたが、小山さんと収録頂きました、小田島放送部長さん有難うございました。

ラジオの聴き方は、FM川口ホームページまで
https://www.fm856.co.jp/

是非是非お聴きください。

能登半島地震義援金を輪島・塗師屋傳兵衛様にお届けしました

令和6年3月25日、皆さまからお寄せ頂いた能登半島地震義援金【133,508円】を輪島塗工房「塗師屋傳兵衛」野口様に全額お渡しさせて頂きました。

輪島の工房は全壊してしまったとのことでしたが、避難先の金沢で皆様穏やかに微笑まれており安心いたしました。

「塗師屋傳兵衛」様とは感謝仏入仏開眼法要の記念品の折にご縁を頂き、今般の震災にあたり支援のための義援金を檀信徒皆様にお願いしておりました。

これまでのご協力ありがとうございました。引き続きご支援のほどお願い申しあげます。

令和6年10月31日 皆様からお寄せ頂いた義援金【110,000円】をお送りさせていただきました。ご協力有難うございました。

令和7年8月18日 皆様からお寄せ頂いた義援金【77,000円】をお送りさせていただきました。ご協力有難うございました。

塗師屋傳兵衛 野口社長より皆様へ御礼の言葉を頂きました。

大変ご無沙汰致しております、何時もお世話になり誠に有難う御座います。先ほど封書が届きました、この度も沢山の義援金頂き心から感謝申し上げます。大事に大事に使わせて頂きます。檀信徒の皆様厚く御礼申し上げます、暑い日が続きますが御住職様、奥様、お体をご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

合掌

お盆竹灯り

8月14日 昨年に引き続きお盆竹灯り作りを行いました。
昨年とは様相を変えて、自由に参加し作れるようにしました。
お盆の提灯の代わりに先祖様が目印にして頂きたいです。

ご指導頂きました藤島瑛讃先生、りえさん、さとみさん有難うございました。
また、参加いただきました皆さん有難うございました。
特に長野僚さん車椅子でお越し頂き有難うございました。
とても貴重なお話が聞けました。

本堂内がとても賑やかで先祖様や仏様がお喜び頂いた事と思います。

白蓮が綺麗に咲いています

数年ぶりに白蓮が次から次に咲いています。蓮は仏様がお座りになる座布団でもあります。
きっと、ご本尊不動明王様や聖天様、そして光明院に眠る故人様が喜んで下さっている証であります。

蓮は3日で花びらが落ちてしまいます。茎を持って頂き、蓮の花の香りをご堪能下さい。
この時期だけしか嗅ぐことが出来ない極楽の香りです😊

ご自由にお参り下さい

<穴守稲荷様>

令和7年7月7日 午前7時に待ち合わせをして信者様のAさん親子と東京羽田空港の礎となられた「穴守稲荷神社」に参拝させて頂きました。

川口と穴守稲荷神社様とは縁が深く、講社でおまいりをされていたと知りました。奉納者を拝見したところ多くの知りあいがいらして、信仰の深さと穴守様のお稲荷様に護られているんだと感じました。

井上宮司様にご接待を頂いたあと、本殿にて正式参拝をさせて頂き、玉串を奉呈させて頂きました。

又、井上宮司様の御許しを得て、奉納法螺貝を立てさせて頂き、歴史ある穴守稲荷神社様にて祖父から受け継いだ法螺貝を立てることが出来たことは法悦の極みでありました。

その後、宮司様自ら境内のご案内を頂き、稲荷山頂上に祀られている、稲荷上乃社、御嶽神社の御宝前にて奉納法螺貝を立てさせて頂き、祈りを捧げました。

又、来年令和8年の午年にあわせて建立される鳥居を光明院荒井正道として奉納させて頂きました。有難いご縁に感謝であります。

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社本殿と鳥居
穴森稲荷神社の全体図 
境内に福苗が育てられておりました
本殿で法螺貝を立てさせて頂きました。
法螺貝を立てる住職
穴守稲荷神社様 本殿に奉納の法螺貝を立てさせて頂きました 
歴史ある奉納鳥居 井上宮司様がご案内頂けました。
摂末社案内図
稲荷山の頂上に祀られている稲荷上乃社で法螺貝を奉納しました。井上宮司様に直々にご案内頂き感謝であります
稲荷山頂上に祀られている御嶽山の霊碑の前で奉納法螺貝を立てました。有難かったです
御嶽神社
穴守稲荷を陰に陽に支えられている川口穴守稲荷講のみなさま 
井上宮司様より川口穴守稲荷講御奉納のご神体のご説明を頂きました。
川口穴守稲荷講の皆様 沢山のご加護を頂いていることと存じます
招福砂を頂いてまいりました。
川口穴守稲荷講の皆様が奉納された献燈台
川口穴守稲荷講奉納の献灯台
最も歴史あるお稲荷様。GHQに埋められたお稲荷様を信者様が掘り起こしおまつりされました
令和8年は午年 お稲荷様の力が倍増する年です。井上宮司様のご配慮により鳥居を奉納させて頂くことが出来ました。令和8年にむけて建立されます。お参りの際は光明院荒井正道の鳥居をお探しください。
穴守稲荷神社の宮司様が命名した「イナリワン」というサラブレットはG1を3勝したそうです。お稲荷様のご加護です 

6月28日が光明院中興(復興)の日です

令和7年6月28日

平成16年6月28日が光明院中興(復興)の日です。

今から21年前の今日、荒井正道が真言宗智山派管長 総本山智積院化主 宮坂宥勝猊下より光明院の住職拝命を受けた日です。

光明院が属している真言宗智山派では中興の祖(衰退した教えを再び盛んにした僧)興教大師(こうぎょうだいし)がいらっしゃり、日々、報恩感謝の心で拝まさせて頂いております。

興教大師の残された言葉の中に「善友(ぜんゆう)に随(したが)わずして痴人(ちにん)に親(した)しみ善根(ぜんこん)を勤(つと)めずして悪行(あくぎょう)を営(いとな)む」という言葉を残されております。

意味は、《まともな友人の忠告には耳をかさず、悪く愚かな者のいう事ばかり聞 き、良い結果をもたらす行いをせず、悪い事ばかり行う》です。

我々はつい甘い言葉にのってしまい後悔したり、耳の痛い言葉を言ってくれる良い友人の言葉には耳を貸さないものです。

今の世の中は、様々な情報が入り乱れ何が正しい情報なのか分かりづらい世の中になっています。

正しい事は、人の命が何よりも大切で、一人一人の思想や人権が守られる事です。

暴力や脅しで人を支配しようとする国や教えは正しくありません。

今でも、世界の中では家族の命が奪われ、自らの自由を奪われ、思想や行動を抑制されていることが現実に起こっております。

これは、日本でも同じであり、特に宗教を語って家族を崩壊させる出来事も起こっております。悲しい現実です。

宗教は救いであり、脅しではありません。

聖なる存在に祈りを捧げ自分の心の安らぎを得るのが宗教であり祈りであります。

興教大師は、正しいことを正しいと伝え、争うことを避け、御仏の慈悲によりすべての生きとし生けるものが救われることを願いました。

我々人間は迷う生き物です。

そんな中、正しい教えを学び、善友の言葉に耳をかたむけ、心の平穏を得ていく事が必要です。

何よりも大切なのは両親から頂いた命を大切にし、仏様に手を合わせ、他人の幸せを祈り、お互いを認め合う慈悲の心を持つことではないでしょうか。

私たちはこの世で唯一無二な命で、この地球上、はたまた、宇宙には自分という存在は無いですし、二度と同じ存在として生まれることは出来ないのです。

せっかくこの世に生まれることが出来たのは、人生の迷いや苦しみにもがきながらでも、自分自身がしっかりと生き、人の役に立つために生きていくことであると考えます。

どうぞ、感謝の寺、祈りの寺の光明院にお参りください。南無興教大師