令和8年元旦
今年は例年に比べ朝の冷え込みは緩かったものの、お正月らしい冷気の中、当山も穏やかな元旦を迎えました。日が昇るにつれて暖かくなりご参拝の方々も増えて、終日初詣の方々の笑顔とたなびくお香に包まれました。恒例の10時と14時の護摩祈祷では、力強い法螺と太鼓の音が響き渡り、多くの方々が祈祷を受けられ気分を新たにされていました。















令和8年元旦
今年は例年に比べ朝の冷え込みは緩かったものの、お正月らしい冷気の中、当山も穏やかな元旦を迎えました。日が昇るにつれて暖かくなりご参拝の方々も増えて、終日初詣の方々の笑顔とたなびくお香に包まれました。恒例の10時と14時の護摩祈祷では、力強い法螺と太鼓の音が響き渡り、多くの方々が祈祷を受けられ気分を新たにされていました。















令和7年12月28日、
光明院 において、諸願成就・国家安穏・世界平和を祈念し、大護摩供を厳修いたしました。
清浄なる護摩の浄火は、
私たちの迷いや煩悩を焼き尽くし、進むべき道を照らす智慧とご加護を授けるものと、古来より伝えられております。
当日は、住職をはじめ僧侶7名が一堂に会し、
本堂内は燃え盛る護摩の炎と読経の響きに包まれました。
厳粛な静寂の中、不動明王の御力が満ち、
参列者一人ひとりに深いご加護が注がれるひとときとなりました。
参列各位の真摯な祈りが一座に結実し、誠に尊く、心に深く刻まれる法要となりました
このような素晴らしい大護摩供がお勤めできたのは、住職を支えて下さる総代各位、檀信徒各位、そして裏方で下準備をして下さる方々、そして、家内と子供達のお陰であります。
感謝感謝であります。





















令和七年十二月二十六日、
東京都大田区羽田空港近くに鎮座される 穴守稲荷神社 において、
新鳥居潜初(しんとりいくぐりぞめ)の儀に参列させていただき、奉納法螺として法螺貝を立てさせていただきました。
今回の尊きご縁の起こりは、令和七年七月七日に遡ります。
信者様が大切にお祀りされてきたお社の一部を、穴守稲荷神社様へお返し申し上げるご縁を賜り、
その御縁成就の証として、鳥居奉納の運びとなりました。
(本件につきましては、既に当山ホームページおよびInstagramにも掲載しております。)
当日は、吹き渡る風があらゆる穢れを祓い清めるかのごとく、
晴れ渡る青空のもと、誠に清々しい潜初の儀が執り行われました。
かけがえのない貴重な体験をお授けいただき、深く感謝申し上げます。
また、奉納法螺の儀をお許しくださった井上宮司様に、心より御礼申し上げます。
さらに不思議な御縁として、境内に据えられた天水桶が、
当山檀家である山崎甚五兵衛氏によって鋳造されたものであることを知り、
あらためて目に見えぬ深いご縁の導きを感じ入る次第でございます。



令和七年十二月十七日、光明院住職ならびに住職婦人、日頃より当山を支えてくださっている鍼灸師の先生、光明院総代様とともに、伊勢神宮へ参拝いたしました。
当日は、豊受大神宮(外宮)、倭姫宮、皇大神宮(内宮)の順に参拝し、それぞれの御前において、日々の御守護への感謝と祈りを捧げました。
外宮(豊受大神宮)
外宮では、御垣内参拝をお許しいただき、御正宮の御前にて豊受大御神様への深い感謝を申し上げました。
あわせて、外宮の別宮として、豊受大御神の荒御魂をお祀りする御宮、ならびに風雨を司る御宮、山田原の神をお祀りする御宮を参拝し、さらに神饌(お供え)を調えるための御井(井戸)に関わる御社にも手を合わせました。日々の暮らしを支える自然の恵みと、目には見えぬ御働きへの感謝を、あらためて心に刻むひとときとなりました。
倭姫宮
続いて、倭姫宮を参拝いたしました。
天照大御神をお祀りするにふさわしい安寧の地を求め、長年にわたり各地を巡られたのち、現在の伊勢の地に皇大神宮をお定めになったと伝わる倭姫命の御事績に思いを致し、日本の祈りの原点がこの地に結ばれたことへの深い感謝をもって、静かに手を合わせました。
内宮(皇大神宮)
内宮においては、折しも神宮の由緒深い祭典である月次祭(つきなみさい)の斎行日にあたり、正午より「奉幣(ほうへい)」の儀が厳粛に執り行われておりました。十二月の月次祭は、十月の神嘗祭・六月の月次祭とともに三節祭(さんせつさい)と称される、神宮でも最も由緒深い祭典の一つです。
奉幣の儀は、大神宮祭主 黒田清子様を先頭に、神宮の神職の皆様により滞りなくお勤めされました。私どもは、祭祀が無事にお納めされた後、格別のご配慮を賜り、御垣内参拝をお許しいただきました。奉幣直後ならではの、張りつめた静けさと清浄さに満ちた御前に立ち、ただ参拝したというよりも、皇大神宮様に導かれ、御前に進むことをお許しいただいた——そのように感じ入る、まことに得難い機縁でございました。
さらに内宮においては、御神楽(みかぐら)をお願いし、光明院住職として神恩感謝の祈りを捧げていただくとともに、光明院檀信徒各位のご無事と安寧についても、あわせて御祈念を賜りました。御神楽を通じ、感謝の心と祈りを、あらためて正式に御前へお届けすることができたと、深く有難く拝受しております。
このたびの参拝は、外宮における御守護への感謝、倭姫命の御功績への敬意、そして内宮における日本の祈りの中心に触れるという一連の流れの中で、「生かされている命」への感謝と、祈りを預かる者としての責任を、あらためて深く心に刻む機会となりました。
光明院は今後も、日本の精神文化の源流に深い敬意を払い、祈りと安心を次代へとつないでいく寺院として、日々精進してまいります。
合掌
遍照山 光明院















光明院 納めの聖天浴油供
〜名古屋 袋町聖天福生院 御礼参り〜
本日十二月十六日、光明院において本年最後となる納めの聖天様の日でした。
過日、葬儀がございました関係で、例年より早めに納めの聖天浴油供を修し、本日は信者各位の諸願成就を心よりお祈り申し上げました。
朝には改めて一年の無事安穏を聖天様に感謝申し上げ、法楽を捧げるとともに、篤信者様のご参拝をお受けいたしました。
その後、家内と共に、名古屋市袋町聖天様へ御礼参りに伺わせていただきました。
袋町聖天様への参拝は昨年の大御堂寺での隆光僧正伝授会前に袋町聖天ご住職松平大僧正様にご挨拶に伺って以来でありました。
その後の御礼参りが滞っていた事をお詫びしながら、家内と共に本堂にてお勤めさせて頂きました。
本年のイタリア行きをはじめ、寺院の日常の務めを大過なく勤め上げることができましたこと、ただただ「有難い」の一言に尽きます。
また、当山に心を寄せ、共に歩んでくださる多くの皆様が集ってくださることも、ひとえにご本尊不動明王様は勿論、聖天様のご加護であると深く感じております。
年末のご多忙の折、お時間を頂くことに気が引け、事前のご連絡を差し控えたままの突然の参拝となりましたが、それにも関わらず、寺族の皆様には温かくお迎えいただき、堂内にて家内と共に感謝の法楽をお勤めさせていただくことが叶いました事は聖天様のお導きであると感謝しました。
ご住職様が、一月の浴油供にお供えする歓喜団を自らお揚げになっておられると伺い、聖天様にお給仕される、その御心に、ただただ合掌申し上げるばかりでございました。
奥様、澁谷副住職様、若奥様の真心こもるお心遣いに、深く感謝しました。
聖天様の大いなるご加護を賜り、感謝に満ちた一日として、納めの聖天縁日を過ごさせていただきました。
袋町聖天様、有難うございました。
南無大聖歓喜双身天王



令和7年12月5日
川口市元郷 隨泉寺(ずいせんじ)において令和7年度埼玉第一教区冬報恩講陀羅尼会が厳修(法要が営まれたこと)されました。
この法要は、真言宗智山派中興の祖 興教大師覚鑁(弘法大師と興教大師 | 大本山成田山新勝寺)<成田山新勝寺様ホームページより転載>が入滅された12月12日近辺に埼玉第一教区僧侶が集まり報恩謝徳をあらわす法要です。
導師に真言宗智山派埼玉第一教区教区長 隨泉寺ご住職渡辺道夫僧正に仰ぎ、10名の職衆(しきしゅう お経を上げ、祈りを捧げる役の僧侶)2名の承仕(じょうじ 裏方で法要の流れをサポートする僧侶)1名の随喜(ずいき 職衆には入らないが一緒に法要に参列する僧侶)そして、6名の寺庭婦人(住職夫人)と隨泉寺檀信徒参集の元、厳粛に営まれました。
光明院住職は法要の会奉行(えぶぎょう 法要の取り仕切りをする僧侶)として興教大師様に報恩謝徳を捧げさせて頂きました。
この法要では法華経 如来寿量品第十六を声明で唱えます。
10名の僧侶による如来寿量品を真言声明で唱える響きに堂内は法悦の満ち満ちた世界になりました。
法要途中では寺庭婦人各位が真心込めて作られた「根来汁」を奉献し興教大師様に捧げられました。
880年経った今も、祈りを捧げているということの現実に唯々、感謝の気持ちでいっぱいでした。
法要に携わって頂いた皆様に心から感謝申し上げます。










令和7年11月23日 感謝仏造立2年法要
昨日、午前11時より感謝仏御宝前において、感謝仏が造立されてから丸二年を迎え、謹んで供養を厳修しました。
このところの法務の連続により、法要を周知できるマンパワ-もなく家内と二人で供養をするつもりでありました。お二人の参列を頂き慎まやかな中での供養でした。
昨日は拙僧、父親、重道和尚38回目の祥月命日。
父親は当時55歳で密厳浄土へ旅立ちました。
健在であれば93歳。
倒れる数十分前に私と普通に話し、突然倒れて意識が戻ることなく1週間で旅立ちました。
今でも私の脳裏には、倒れる前の姿、突然倒れ救急搬送された時の姿、病室で命がこと切れる寸前に医者から退出を促され、命の灯が消えた後、医者が命を呼び戻すがごとく必死に心臓マッサ-ジをしてくださった姿は忘れることが出来ません。
母親もすでに亡くなっていたので、父親一人で必死に子供を育て、寺を護っていた父親は大変だったと思います。今、拙僧も親になり父親の気持ちが少しわかったような気がします。
きっと、この感謝仏に眠る、多くの御仏の方々も、そして、お見送りをされたご家族も一人一人それぞれの思いをお持ちであると思います。
皆さんがあの時に行った行動で後悔している方、自分を許してあげてください。
あの時は、頭の中が混乱し、動揺し、怖かったとおもいます
その中、必死に必死に自分のできることをやられたのですから・・・・。
今あなたが生きてること。
それが、亡き故人様への供養です。




令和7年11月19日、20日と七面山に同行二名と光明院住職で登拝修行に行く法縁をえた。
早朝4時に光明院本堂にてご本尊不動明王に法楽を捧げてから出発
順調に山梨県七面山に到着。
天候も恵まれ、紅葉が素晴らしい中登拝。
約6時間かけて登拝。
無事に七面山奥之院に到着。
当日は山頂敬慎院にて、屋根の葺き替えに伴う落慶式があり、大勢の方々にすれ違った。
又、駕籠に乗られたご重役の姿を拝見出来たのはこの上ない喜びであった。
奥之院にて宿泊。夕方のお勤めはとても迫力がある素晴らしいお経で有り難く参列させて頂いた。
輪番様の御説法も温かみあるお話の中にご自身の奇跡的な霊験記をお聞きし、とても感銘を受けた。
早朝6時より外に出てご来光を拝んだ。
その際、輪番様のお許しを得て法螺貝を立てさせて頂いた事は有り難い事であった。
澄んだ空気の中、山に響く法螺貝の音は山内に響き渡った。あわせて神仏のご加護を願った。
その後、朝のお勤めが始まり共に手を合わせて祈らせて頂いた。
朝食後、下山をはじめた。
下山中、古傷の膝を痛め、降りられないかと思ったが同行のお二人が拙僧の荷物を持ってくださり、無事に七面山を無事に修行し、後にする事ができた。只々感謝の言葉しか見つからない。
有難うございました。
4時間かけて降りたあの苦しさは忘れない。
とても素晴らしい修行が出来た。
これも、七面大明神のご加護、支えてくだった皆様方のおかげさまである。
七面山は七面大明神様を祀る霊山。
輪番様をはじめ、多くの方々の信仰心によって支えられている素晴らしい霊山である。
これからも、多くの方々と共に世界平和、国家安穏、関係各位の無事安穏を祈られる事であろう。
合掌



















令和7年11月13日
光明院住職荒井正道が埼玉第一教区の副教区長を仰せつかっている埼玉第一教区主催の檀信徒教化推進会議が大本山川崎大師にて開催されました。
バス4台で総勢128名の大きな研修会となりました。光明院参加者は21名。
光明院は龍泉寺様と吉祥寺様と同じ3号車のバス。
バスの中で光明院住職による法螺貝にて道中安全を祈願したのち、智山勤行式の研修をし読み方の講話をした。
道中は大変スム-ズで予定よりも早く川崎大師に到着。
11時30分から川崎大師貫首藤田隆乗大僧正猊下による護摩祈祷に参拝させていただき、多くの方々の諸願成就を祈っていただいた。
その後、川崎大師客間にておいしい精進料理を頂戴し、午後から檀信徒教化推進会議が開催された。藤田隆乗大僧正ご臨席の元、開会式を行った。
光明院住職による開会の辞にて開会となった。内容はコロナ前の令和元年に東海道新幹線内で当時の直林一敏教区長と荒井真道副教区長、そして荒井正道副教区長が、藤田隆乗大僧正直々にお声掛けを頂き感激し、令和2年度の開催を予定したがコロナ禍により中止になり、5年ぶりに念願の開催になった事を伝えた。
今回の開催にあたり定員をオーバーする参加者を得たこと、そして、藤田隆乗大僧正の護摩祈祷のおかげで、雨が止み、集合写真が撮れたことはまさにご利益であったことを感謝の言葉とともに申し述べた。
川崎大師教化部長森岡隆紀僧正によるご指導の元、彩色仏画(ぬりえぶつが)研修を行った。
最後には薬師如来の真言読誦の中、写仏を奉納し会は終了となった。
その後、境内散策で北の湖関の銅像を見学し、境内に彩られている菊の美しい作品を拝見し、更には、境内の仲見世で買い物をし、心温まる時間を過ごし無事に川崎大師を後にした。
参加頂きました皆様方、心より御礼申し上げます。


















本日7時より
不動明王縁日大護摩供を
20名程の参列を頂き勤修致しました。
護摩修行の後、法螺を立て、参列者全員の芳名を読み上げ、御詠歌の同行和讃、智山勤行式を読誦しました。
最後は10月26日に取ったご利益柿を皆さんにお配りしました。
祈祷お申し込みの方、参列者各位、リモートでお参り下さった方々にご加護がありますことをお祈り致します🙏


