6月28日が光明院復興の日です

令和7年6月28日

平成16年6月28日が光明院復興の日です。

今から21年前の今日、荒井正道が真言宗智山派管長 総本山智積院化主 宮坂宥勝猊下より光明院の住職拝命を受けた日です。

光明院が属している真言宗智山派では中興の祖(衰退した教えを再び盛んにした僧)興教大師(こうぎょうだいし)がいらっしゃり、日々、報恩感謝の心で拝まさせて頂いております。

興教大師の残された言葉の中に「善友(ぜんゆう)に随(したが)わずして痴人(ちにん)に親(した)しみ善根(ぜんこん)を勤(つと)めずして悪行(あくぎょう)を営(いとな)む」という言葉を残されております。

意味は、《まともな友人の忠告には耳をかさず、悪く愚かな者のいう事ばかり聞 き、良い結果をもたらす行いをせず、悪い事ばかり行う》です。

我々はつい甘い言葉にのってしまい後悔したり、耳の痛い言葉を言ってくれる良い友人の言葉には耳を貸さないものです。

今の世の中は、様々な情報が入り乱れ何が正しい情報なのか分かりづらい世の中になっています。

正しい事は、人の命が何よりも大切で、一人一人の思想や人権が守られる事です。

暴力や脅しで人を支配しようとする国や教えは正しくありません。

今でも、世界の中では家族の命が奪われ、自らの自由を奪われ、思想や行動を抑制されていることが現実に起こっております。

これは、日本でも同じであり、特に宗教を語って家族を崩壊させる出来事も起こっております。悲しい現実です。

宗教は救いであり、脅しではありません。

聖なる存在に祈りを捧げ自分の心の安らぎを得るのが宗教であり祈りであります。

興教大師は、正しいことを正しいと伝え、争うことを避け、御仏の慈悲によりすべての生きとし生けるものが救われることを願いました。

我々人間は迷う生き物です。

そんな中、正しい教えを学び、善友の言葉に耳をかたむけ、心の平穏を得ていく事が必要です。

何よりも大切なのは両親から頂いた命を大切にし、仏様に手を合わせ、他人の幸せを祈り、お互いを認め合う慈悲の心を持つことではないでしょうか。

私たちはこの世で唯一無二な命で、この地球上、はたまた、宇宙には自分という存在は無いですし、二度と同じ存在として生まれることは出来ないのです。

せっかくこの世に生まれることが出来たのは、人生の迷いや苦しみにもがきながらでも、自分自身がしっかりと生き、人の役に立つために生きていくことであると考えます。

どうぞ、感謝の寺、祈りの寺の光明院にお参りください。南無興教大師

イタリア普伝寺拝登と宗教視察報告

フィデンツァ大聖堂の前で法螺貝を立てさせて頂きました。
共に法螺貝を立てて頂いた老師様方に感謝であります。
動画にはありませんが、後ろで犬が法螺貝の音に合わせ遠吠えをしておりました。

イタリアの普傳寺は曹洞宗に属しています。国が違えども、仏教を信奉する心は変わりません。

曹洞宗は世界各国に寺院があり、ヨーロッパにも40カ寺の寺院があるそうです。

道元禅師の禅が世界に認められている証です。

フィデンツァ大聖堂にて普傳寺御住職ご一統様のお出迎えを頂きました。

イタリア、エミリア=ロマーニャ州パルマ県フィデンツァにある、ロマネスク様式の美しい大聖堂です。

お優しい雰囲気の皆さんに手厚くお出迎えを頂き感謝でありました。

その後、教会前にて法螺貝を立てるご縁を頂き、同行の御住職方と共に神に祈りを捧げながら法螺貝の音を届ける事が出来ました。

遠くイタリアにて法螺貝を立てる事ができ、密厳浄土で祖父が微笑んでくれている姿が感じられました。

そして、何より遠く東洋から来た僧に法螺貝を立てる事をお許し頂きました、神に感謝申し上げます。

その後、昼食を挟んで、今回のイタリア行きの目的である普傳寺に到着

普傳寺の見学をさせて頂いただいだ後、翌日の法要習いをし、本番に備えました。

御仏のご加護により無事成満出来る事と存じます。

フィデンツァ大聖堂前にて集合写真

フィデンツァ大聖堂教会主様より宗教間対話の大切さ、祈りの大切さを説いて下さるご法話とご挨拶を頂戴致しました。通訳の方がとても分かりやすく訳して下さり、共感することが多々ありました。

今回の旅の目的、普傳寺様にて大般若奉納法要のクライマックス。
導師をお勤めになられた、長学寺御住職 生沼老師様の荘厳で迫力ある大般若経典転読の祈りに、住職が脇侍を勤めさせて頂き、法螺貝を立てました。
僧侶として得難き縁を頂き、唯々感謝であります。同行させて頂きありがとうございました。

バチカン市国 サン・ピエトロ大聖堂前広場にて、ローマ教皇一般謁見が行われ。R7.5.8教皇選で選出された「レオ14世」のお姿を拝見しようと世界各国から大勢の方々が集まった様子。自分の国名を呼ばれると歓喜の声をあげている。

法螺貝を持ち僧侶として、一般謁見に臨んだところ、守衛の警察官が珍しがり前に行くことを許可された様子
 ローマ教皇は招待された一般の方々(車いすの方もいらした)に2時間かけて一人一人挨拶をされた為、一般の方々は既に広場を離れた人が多く、少なくなっているが、ローマ教皇は最後車に乗り手を振りながら広場を後にした。一般謁見に住職夫妻で行けた事は有難い限りである。

住職夫妻がイタリア普伝寺拝登と宗教視察の旅に参加

令和 7年 5 月 22 日より 29 日まで、曹洞宗のご住職方と共に 26 名でイタリアにある普伝寺へご法要隨喜(法螺貝のお手伝い)の為に家内と共に参列してまいります。
そもそも、このご縁は今から2年ほど前に群馬県富岡市長学寺 生沼善裕老師から曹洞宗の若い僧侶方と共に法螺貝研修の為に御来山頂いたのがご縁です。

令和5年6月15日(弘法大師のご誕生日)
光明院へ研修に来て下さった曹洞宗生沼善裕老師と曹洞宗僧侶各位

その際に、イタリア行きのご案内を頂きました。光明院役員各位に相談したところ快くお許しを頂き家内共々法螺貝を立て(吹くこと)に行くことが出来ます。
光明院の法螺貝は、住職の祖父(成田山豊栄寺第1世住職 荒井政道師)が孫の私に残してくれた有難い法螺貝です。祖父は法螺貝の講師を務め、NHKなどにも出演する住職でした。
今回、祖父の法螺貝と一緒にイタリアまで行けることは僧侶として孫として本当に有難い法縁です。

法螺貝を吹くのは、ギリシャ神話にも出てくるそうで、トレビの泉でも法螺貝を吹く姿が彫刻されていると聞いております。
又、弘法大師空海が今から約1200年前に白い法螺貝を唐から御請来されており、法螺貝とは大変縁の深さを感じます。

旅の行程では最終日にはバチカン市国へ行き(サンピエトロ大聖堂を含む)ヨーロッパの歴史ある宗教施設で研修することが出来ます。このタイミングでバチカン市国に行けるのは御仏、神仏のご縁を感じます。

護摩壇ご志納のお願い

こんにちは。
光明院でございます。

本堂に新たに護摩壇が設置されました。本年の祈祷会(例年12/28厳修)ではこの護摩壇で密教の秘法「護摩」を修法し、皆様の諸願成就を祈願させて頂きます。

つきましては、護摩壇のご志納を募集しております。ご協力のほど宜しくお願い申しあげます。

【護摩壇ご志納】
一口 1,000円より

本堂正面にご志納ノートをご用意しておりますので、お名前等をご記入頂いたのち志納金を賽銭箱にお納めくださいませ。

12/27までにご志納頂いた方は、12/28の大護摩供にて志納者全員のお名前をご本尊様に奉読させて頂きます。

満月の日限定朱印「満月詣(まんげつもうで)」頒布開始

こんにちは。
光明院でございます。

毎月満月の日だけの特別朱印がはじまります。

星のように輝く紺紙にゴールドの満月が浮かぶオリジナルのご朱印です。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

特別朱印「満月詣(まんげつもうで)」
授与日:毎月満月の日
時 間:9時~17時
頒布料:500円 ※書き置きのみ

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

– 令和6年の授与日 –
10/17(木)・11/16(土)・12/15(日)

月の力みなぎる満月の日に、お不動様や両祖大師様、ご先祖様や故人様へ感謝と報告のお参りをした証としてお持ち帰りくださいませ。

みなさまのご来山を心よりお待ちしております。

鎌倉・建長寺で能登半島復興応援マルシェ「能登半島げんき市場」開催

来たる5月5日(日)~6日(月)、神奈川・鎌倉の建長寺様で能登半島復興応援マルシェ「能登半島げんき市場」が開催されます。

期間中は塗師屋傳兵衛様もご参加予定で、光明院住職もお手伝いに参ります。

檀信徒皆様でご都合がよろしい方がおられましたら、ぜひご来場をお待ちしております。

能登半島地震による被害に対して義援金お届けのご報告

感謝仏開眼法要 記念品輪島塗業者 「塗師屋傳兵衛」

能登半島地震による被害に対して義援金お届けのご報告

令和6年3月25日 石川県金沢市において、塗師屋傳兵衛 野口一幸社長ご家族に義援金をお届けすることが出来ました。

ご家族の皆様の命があって本当に良かったです。

「感謝仏開眼法要」でご参列頂いた皆様にお渡しさせて頂いた御匙は昔からお世話になっていました。『お祝いの時には必ず塗師屋傳兵衛さんにお世話になろう』と決めており、お渡しした方々から数多くの感謝の言葉を頂いたのは、良心的に御匙を納めてくださった野口社長ご家族のおかげ様です。

しかも、正月より塗師屋傳兵衛さんに義援金を送りたいと受付をしたところ、数多くの方々からお気持ちを頂戴いたしました。本当に皆さま有難うございました。

この場をお借りし厚く厚く御礼申し上げます。

今回、野口社長ご家族とお会い出来たのはお不動様のお導きであったとしか考えられない出来事がありました。住職自ら届けたいという思いがあり、雪深い北陸に行くには春の彼岸過ぎと決めておりました。2月より日程の調整をし彼岸明けの3月25日・26日に北陸に行こうと決めたのです。1月2日から塗師屋傳兵衛さんに電話をしても連絡がつかず、会社のメ-ルに送っても返信がありませんでした。その後も、事あるごとに私は電話をしますがつながりません。しかし、前日の3/24に奇跡的に野口社長の携帯電話とつながることが出来たのです。お話を聞くと、輪島の自宅は壊滅。道路が寸断されて孤立し、自衛隊のヘリで避難されたとのこと。

現在は、石川県金沢市に仮住まいし生活再建に向けて体制を整えているとの事。もし、3/24に電話が通じなければ、私は輪島に向かうつもりでした。お会い出来て本当に良かったです。

そして、驚いたことに私と野口社長ご家族と共通項がありました。それは太鼓です。

野口さんは御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)という塗師屋傳兵衛さんがある輪島市名船町に伝わる石川県無形文化財指定を受けている伝統ある祈りの太鼓の継承者であります。遠くは御神徳による導きにより、上杉勢から村を護り、地域を護り、加賀を護る勇壮な太鼓打ちなのです。そして尚、文化を継承し、伝統を守り、輪島を世界に発信しているのです。

私も日々夕方のお勤めでは太鼓を叩き、国家安穏(国の安泰)、寺門興隆(寺が隆盛し一人でも多くの方が救われるよう)、檀信徒安全(皆様の健康と安全)、そして諸願成就(皆様の願いが叶うよう)をお不動様に祈っております。

復興の道は決して楽ではないかと思いますが、必ず力になりたいという人間はおります。私もその一人です。大変な時には皆で支えあうのが人であります。

光明院での活動は小さなものではありますが、塗師屋傳兵衛さん、又は輪島塗の復興の一助になれればと考えております。皆様も引き続きご理解ご協力のほどお願い致します。

令和6年3月27日

光明院中興第一世住職  

少僧正 荒井正道

御陣乗太鼓【オフィシャルサイト】 (gojinjodaiko.jp)

ご自宅は全壊し住むことが出来ません。現在の仮住まいから7~8時間かけて取り出せる家財道具を運び、最低限の生活ができるようにされたそうです。仕事場はまだ手が付けられない状態だそうです。

道路はところどころ損壊して車が通れません。

自宅の裏山が崩れ土砂が押し寄せましたが奇跡的に命は御無事でした。

輪島の海岸線 道路は土砂で寸断され道路の海側は隆起し地形が変わってしまっております。

写真提供 塗師屋傳兵衛 野口一幸様

能登半島地震義援金を輪島・塗師屋傳兵衛様にお届けしました

昨日、皆さまからお寄せ頂いた能登半島地震義援金【133,508円】を輪島塗工房「塗師屋傳兵衛」野口様に全額お渡しさせて頂きました。

輪島の工房は全壊してしまったとのことでしたが、避難先の金沢で皆様穏やかに微笑まれており安心いたしました。

「塗師屋傳兵衛」様とは感謝仏入仏開眼法要の記念品の折にご縁を頂き、今般の震災にあたり支援のための義援金を檀信徒皆様にお願いしておりました。

これまでのご協力ありがとうございました。引き続きご支援のほどお願い申しあげます。

合掌

京都 総本山智積院・総本山 教王護国寺 東寺 御礼参りの旅

去る令和6年1月14日(日)、住職家族を始め有縁の檀信徒皆様とともに、光明院が属する智山派の総本山・智積院と、宗祖弘法大師が真言密教の一大道場として開いた総本山教王護国寺 東寺に御礼参りをいたしました。

総本山智積院 朝勤行の導師・山川総務部長と記念撮影
朝勤行後は明王殿にてお護摩参拝
金田師ご案内のもと、智積院境内の名勝庭園を拝観
総本山教王護国寺 東寺 ()七日(しちにち)御修法(みしほ) (あと)(おが)みで参拝
総本山教王護国寺 東寺 第257世長者
高野山真言宗 別格本山 三宝院 住職
()(だか) 全隆(ぜんりゅう) 猊下(げいか)
御修法を終えたばかりの飛鷹猊下からご挨拶を賜りました
お教え頂いた写真撮影の掛け声は「はい、東寺(とぉーじ)」!
弘法大師の御手替りを担う高僧でありながら優しく声をかけてくださる御心の深さを感じました

     

参加者の声

智積院会館集合→金堂にて朝勤行→集合写真→不動堂護摩行→庭園案内8:30終了の日程でした。

折しも同日近隣の三十三間堂にて通し矢の全国大会があり、会館に宿泊していたであろう参加学生達が朝の薄暗い中記念写真を撮っていました。集合待機中も頻繁に弓を携えた若者達が出入りをしていて、特別な日の古都京都に来ているんだとこの時実感致しました。

昭和50年に再建されたという金堂の高い天井と、落ち着いた中にも絢爛豪華とも言える装飾に圧倒されながらも、南無大師遍照金剛と唱えるなか多くの僧侶が入ってこられ朝勤行が始まりました。導師さまが唱えるお授けの文を唱和し、本尊の大日如来とご縁を結ばせて頂きました。

次に金堂の右手に隣接する不動明王がご本尊の明王殿(不動堂)に移動し、護摩行に参列。

天井まで届くかと思われる護摩の炎を吸い込まれるように見つめ続ける中、いくつかの経が詠唱され次第に盛り上がってゆき、最高潮に達した時、それはまるで雑踏の声のように複雑に入り乱れた唱和になって唐突に止む…。

これには密教の真骨頂を垣間見た気がして大変感動させて頂きました。来て良かったと。

圧巻の護摩行の後は集合写真撮影と若手のお坊様による名勝庭園案内と続きました。

95年に再建された方丈殿(講堂)から見る庭園は安土桃山時代の風情をそのまま残したものだそうで、仏教聖地廬山を模した荒々しさが特徴なのかな?

前身の祥雲禅寺(天和2年焼失)、豊臣秀吉、徳川家との智積院の関わりも説明して頂きましたが、根来寺時代からの因縁も話に加えて頂ければもっと面白かったのになぁと思いました。

ここまででもかなり密度の高い体験でしたが、宝物館とかも見学しておけば良かったと今頃後悔しております。

冬の晴天の澄んだ青に常緑のクスノキが映え、そこに静かに溶け込む歴史的建築物群。

広大な境内の白い玉砂利が敷き詰められた清浄な雰囲気の中、後七日御修法参拝の列に与かれたのは荒井ご住職の何気ない一言からであり、後七日の意味すら分からない物知らずが「光明院・京都・お礼参りの旅」に参加させて頂けるとは思ってもみませんでした。私にとってまさに稀有な出来事なのではないかと思えています。

東寺のホームページによりますと、御修法では長安の真言第七祖恵果から第八祖空海が授かった法具が今も使われているとの事、その積み重ねられた時間と空間の地響きがするような重圧感に…知識で分かってはいても改めて静かな驚きがありました。

東寺では11:00宮内庁勅使到着から上堂→退堂までの各派高僧の行列を拝む→灌頂院道場一般公開見学というのがお礼参りの旅の行程でした。

結願上堂と退堂の行列を拝む際に高僧の中に飛鷹猊下のお姿も拝見させて頂きました。

行列を拝む沢山の人たちの中に小さな子を連れた親子が多くおられましたが、あれは東寺幼稚園の生徒さん達だったのですね。

こうして世代がつながってゆく様がなにかとても和やかでゆっくり時間が流れていく感じが印象的でした。

集合写真を撮る際は、ご一緒して頂いた飛鷹猊下の「とうじ」で笑ってというユーモアで一同を和ませて頂き、晴れやかな良い旅の締めになりました。

ただ、写真に写っている私と言えば調子にのって前日から歩きすぎ、足腰が痛くて笑ってるつもりでも始終浮かない顔で写ってしまっていました。(笑

忙しく暮らしに明け暮れる日々の価値観とは全く違う、忘れ去っている何かを束の間取り戻したような安堵感が、また機会があれば行ってみたいなと思わせる旅でした。