光明院竹灯りの先生、藤島瑛讃さんの寄稿文です。
今は光明院の非常勤で働いてくれております。
能登半島にボランティアに行き、ある一人の男性から次のような言葉をいただいたそうです。
その一文です。
「あの日(震災の日)にすべてを失いました・・・。今も失い続けています。正
直もう生きていくのがつらいで す。でも、この灯りをみて、生きててよかったなと思えました。もう少し、生き
てみようかな。」
涙を浮かべながら話すその姿を見て、僕も涙を流しました。
……
長文ですが、是非お読み下さい。
皆さんが能登半島の現実を知っていただくことが復興の一助となります。
光明院住職 荒井正道
藤島瑛讃さんの寄稿文
空が広く、海は青く澄み、空気も綺麗で、とっても素敵で素晴らしい所でした。人も暖かく、食べ物も美味しい です。伝統工芸のまちでもあり、日本の文化を継承し守ってこられた場所でもあります。後世に残すべき日本の 土地だと思いました。
8月30日、8月31日に行われました、能登半島復興支援活動の一環として竹灯りを飾らせて頂きました。30 日は石川県輪島市河井町にある、オリゾンテさんというレストランのお店の前でライブ&炊き出し&ライト アップが行われました。31日は珠洲市三崎町小泊にあるみんなの家さんと海辺でライブ&炊き出し&ライトアップが行われました。
この活動を投稿させて頂こうか、正直迷いましたが、現地に行かせて頂くにあたり多くの方にご支援頂きました ので、感謝とご報告も兼ねて投稿することに致しました。また、まだまだ知られていない現状をこの投稿を見て 下さった皆さんにも少しでも知ってもらえたらと思った次第です。
長くなりますが、読んで頂けましたら幸いでございます。
のと里山街道の穴水を過ぎたあたりから、道路がかなり凸凹しており、ゆっくり徐行しなければ進めない道が始 まっていました。道の両脇には地震の影響で崩れた崖や地面などがそのまま残っていました。今でも瓦礫の撤去や、崩れた地面の舗装・整備のために多くの工事車両が作業しており、その作業に取り掛かられている方も大勢いたことにも驚きました。輪島市内に入ると、崩れた家がそのままになっており(なんとかしたくてもできないのだと思いました)、多分解体もなにも手付かずで進む見通しも立っていないであろう建物が沢山ありました。家だけではなく、商業施設やお店なども壊れた跡が散見され、ブルーシートがかかったままの建物があったり、この先立ち入り禁止となっている所もありました。朝市のあった通りも、見る影もなくほとんど何もなくなっていました。
現地の方は仮設住宅に住んでいらっしゃる方や、市内に疎開された方がおられました。現状、国からの支援は止まっており、どうにかしようにもどうにもできないという実態とのことでした。 輪島市から珠洲市に行く道も、通行止めの箇所が多くあり、道路も凸凹したままでした。私が行った珠洲市小泊 では、電気やガス、水道の供給がまだの所もありました。神社も崩れたままでした。河井町には重蔵神社という今からおよそ1300年前に建てられたとても歴史ある神社があります。 天冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)さまと大国主命(おおくにぬしのみこと)さまが祀られています。 境内は崩れたままでしたが、地元の方々が今でも改修に当たられていました。そして震災があった年からボラン ティアに来続けているという大学生に会いました。何人もの学生さんがいてがれきの撤去や、草取り、生活に必要なものの配給をされていて、重蔵神社さんがその拠点ともなっていました。
以上が僕が見させて頂いた光景です。 もしも、可能であれば、この投稿を見て下さった方々にも能登を訪れて頂きたいなとも思いました。
【前日譚】
少し前に遡り。。。 能登に行く前の話を少しだけさせて下さい。
そもそも、僕の地元が石川県ということもあり、昨年災害が発生してから何か地元の方々にできることはないか とずっと考えていました。しかしながら今の自分は自分の生活を何とかするのに精一杯だったので、行きたくて も行けないのが現実でした。そんな中僕が普段からお世話になっているSICILIANAさんから「今年、能登に行くけど来るか?」とお声掛けいただき、「行きたいです!」と0.2秒で即答している自分がいました。とはいうものの、僕ができることといえ ば、竹灯りを現地に持って行って光らせることくらいですし、それを現地でさせて
頂いて何か人の役に立てるのかとも悩みました。でもどうしても何か役に立ちたい、今年行かなかったら一生後悔すると思い、主催のケイソンさんに「能登一緒に行かせて頂いてもいいですか?」と伺った所「いいよ。」とすぐに返事を頂いたので、行くことを決意しました。
それからが課題との向き合いの始まりです。
竹灯りを作るのはタダじゃありません。日数もそれなりにかかります。 今の私は資金も、作るための手数も全く足りないので困りました。そこで、普段からお世話になっている埼玉県川口市役所前にある光明院さんに相談させて頂きました。能登半島の復興支援の一環として現地に赴き、竹灯りを飾って、少しでも現地の方々に笑顔になってもらいたいのですが、恥ずかしながらお金がありません。活動を支援して下さいませんか。と恥を承知で相談させて頂いたところ二つ返事で「いいよ。素晴らしい。是非。」と言って下さいました。一片の迷いもなく0.2秒でお返事を頂き正直驚きました。こんな人 が世の中にはいるんだと。あの時の即答されたお顔は今でも鮮明に覚えています。本当に何の迷いもなく真っすぐな目をされていました。僕はありがたく支援を頂きました。
出発まで残り3週間をきりました。
さて、竹灯りを作るのにも一人じゃできません。竹の伐採から、伐採後の清掃、表面が汚れているのでかなだわしと水で洗う、節を抜く、寸法にカットする、油抜きをする、デザインする、型紙を貼る、穴をあける、LEDを仕込む、組み立ての設計図を書く、倒れないための安全対策をするなど、膨大な工程が実は竹灯りづくりにはあります。そこで、いつも活動を助けてくれている、れいこさん、パパさん、壮大くん、あつしくん、りせいさん、ひしめくちる五郎さん、けんさんに「竹灯りを能 登で飾りに行きたいのだけれども、一人じゃ間に合いません。助けて下さい。力を貸して下さい。」とお伝えしました。そしたらみなさん、快く承諾してくれて、8月のものすごく熱い日差しが降り注ぐ猛暑の中で汗だくになりながら制作を手伝って下さいました。
竹灯りは穴をあければ完成なのではなく、綺麗に安全に光らせることも重要なファクターです。そこで、普段か らお世話になっている僕の恩師であるCHIKAKENさんに電材を手配して下さいませんかとお願いさせて頂いた ところ、すぐに動いてくれました。
結局、制作は鎌倉出発の前日の夜まで行いましたが間に合わず、石川の実家で続きをすることになりました。
そして金沢についてから予期せぬトラブルが発生しました。 なんと金沢についた瞬間、車が故障してしまい全治1か月と診断されました。ディーラーさんがすぐ対応してくれましたが走行不可能ですと言われ、あらゆるレンタカー屋さんに電話しましたが、週末いきなり観光地の石川県でレンタカーを探しても1台も見つからず絶望しました。これはもしかしたら行くなということなのかとも正直迷いました。半ば心が折れかかっている僕の様子を見た父がすぐに知り合いに連絡をしてくれて、なんとか1台だけ見つかったよと手を差し伸べてくれました。その知り合いの方は僕が小さい頃からお世話ったなった方で、10年ぶりくらいに声を聞きました。「1台だけレンタカー見つかったから、 能登、行ってこいよ。」と背中をおしてくれました。本当にありがたかったです。。この二人の力添えがなかったら確実に能登には行けていなかったと思います。そして、まだ終わっていない制作に関しては、実家の母やまだ 小さい赤ちゃんを育てている姉が急遽手伝ってくれました。それでも間に合いません。 すがる思いで地元の高校時代の友人に、「助けてほしい」といきなり連絡をしたにも関わらず急遽実家に来てくれました。おかげで、無事制作を完了させることができました。
翌日無事輪島に竹灯りを持っていくことができ、そしてそこでも現地の方々や一緒に支援活動に携わった皆さんが組み立てや資材の運搬を手伝って下さいました。竹灯りはイベント本番で無事点灯し、僕が今まで見た中で一番大きな輝きを放っていました。
ある一人の方に言われました。 「あの日(震災の日)にすべてを失いました・・・。今も失い続けています。正直もう生きていくのがつらいで す。でも、この灯りをみて、生きててよかったなと思えました。もう少し、生きてみようかな。」涙を浮かべながら話すその姿を見て、僕も涙を流しました。
ほんの小さな、小さなことかもしれませんが、竹灯りを灯させて頂いたことが、少しでも能登半島の皆さんの何 かのお力になれていたならば幸いでございます。ただその小さなことの裏には、多くの方の大きな支えがあった ことは間違いありません。 僕一人ではできませんでした。 改めて、ご協力頂きました皆様に御礼申し上げます。 また、現地で一緒に活動して下さった、けいちゃん、みずっち、まみさん、ケイソンさん、カイさん、ジンさん、 三宅さんとお仲間の皆さん、ご一緒させて頂きありがとうございました。 そして、現地でのアテンドをずっとして下さった、やすさん、やすさんのご家族の皆さん、ありがとうございました。 また、お会いできる日を楽しみにしております。そして、また行けるように、お仕事頑張りたいと思います。
最後まで読んで下さった皆様ありがとうございました。 まだまだ能登半島の復興は進んでおりません。進んでいないことも知られておりません。 僕も知りませんでした。そして、僕の知らない部分でもきっと多く大変なことがあるかと存じます。1日でも早く、能登半島の復興が進むことをお祈り申し上げます。





