京都 総本山智積院・総本山 教王護国寺 東寺 御礼参りの旅

去る令和6年1月14日(日)、住職家族を始め有縁の檀信徒皆様とともに、光明院が属する智山派の総本山・智積院と、宗祖弘法大師が真言密教の一大道場として開いた総本山教王護国寺 東寺に御礼参りをいたしました。

総本山智積院 朝勤行の導師・山川総務部長と記念撮影
朝勤行後は明王殿にてお護摩参拝
金田師ご案内のもと、智積院境内の名勝庭園を拝観
総本山教王護国寺 東寺 ()七日(しちにち)御修法(みしほ) (あと)(おが)みで参拝
総本山教王護国寺 東寺 第257世長者
高野山真言宗 別格本山 三宝院 住職
()(だか) 全隆(ぜんりゅう) 猊下(げいか)
御修法を終えたばかりの飛鷹猊下からご挨拶を賜りました
お教え頂いた写真撮影の掛け声は「はい、東寺(とぉーじ)」!
弘法大師の御手替りを担う高僧でありながら優しく声をかけてくださる御心の深さを感じました

     

参加者の声

智積院会館集合→金堂にて朝勤行→集合写真→不動堂護摩行→庭園案内8:30終了の日程でした。

折しも同日近隣の三十三間堂にて通し矢の全国大会があり、会館に宿泊していたであろう参加学生達が朝の薄暗い中記念写真を撮っていました。集合待機中も頻繁に弓を携えた若者達が出入りをしていて、特別な日の古都京都に来ているんだとこの時実感致しました。

昭和50年に再建されたという金堂の高い天井と、落ち着いた中にも絢爛豪華とも言える装飾に圧倒されながらも、南無大師遍照金剛と唱えるなか多くの僧侶が入ってこられ朝勤行が始まりました。導師さまが唱えるお授けの文を唱和し、本尊の大日如来とご縁を結ばせて頂きました。

次に金堂の右手に隣接する不動明王がご本尊の明王殿(不動堂)に移動し、護摩行に参列。

天井まで届くかと思われる護摩の炎を吸い込まれるように見つめ続ける中、いくつかの経が詠唱され次第に盛り上がってゆき、最高潮に達した時、それはまるで雑踏の声のように複雑に入り乱れた唱和になって唐突に止む…。

これには密教の真骨頂を垣間見た気がして大変感動させて頂きました。来て良かったと。

圧巻の護摩行の後は集合写真撮影と若手のお坊様による名勝庭園案内と続きました。

95年に再建された方丈殿(講堂)から見る庭園は安土桃山時代の風情をそのまま残したものだそうで、仏教聖地廬山を模した荒々しさが特徴なのかな?

前身の祥雲禅寺(天和2年焼失)、豊臣秀吉、徳川家との智積院の関わりも説明して頂きましたが、根来寺時代からの因縁も話に加えて頂ければもっと面白かったのになぁと思いました。

ここまででもかなり密度の高い体験でしたが、宝物館とかも見学しておけば良かったと今頃後悔しております。

冬の晴天の澄んだ青に常緑のクスノキが映え、そこに静かに溶け込む歴史的建築物群。

広大な境内の白い玉砂利が敷き詰められた清浄な雰囲気の中、後七日御修法参拝の列に与かれたのは荒井ご住職の何気ない一言からであり、後七日の意味すら分からない物知らずが「光明院・京都・お礼参りの旅」に参加させて頂けるとは思ってもみませんでした。私にとってまさに稀有な出来事なのではないかと思えています。

東寺のホームページによりますと、御修法では長安の真言第七祖恵果から第八祖空海が授かった法具が今も使われているとの事、その積み重ねられた時間と空間の地響きがするような重圧感に…知識で分かってはいても改めて静かな驚きがありました。

東寺では11:00宮内庁勅使到着から上堂→退堂までの各派高僧の行列を拝む→灌頂院道場一般公開見学というのがお礼参りの旅の行程でした。

結願上堂と退堂の行列を拝む際に高僧の中に飛鷹猊下のお姿も拝見させて頂きました。

行列を拝む沢山の人たちの中に小さな子を連れた親子が多くおられましたが、あれは東寺幼稚園の生徒さん達だったのですね。

こうして世代がつながってゆく様がなにかとても和やかでゆっくり時間が流れていく感じが印象的でした。

集合写真を撮る際は、ご一緒して頂いた飛鷹猊下の「とうじ」で笑ってというユーモアで一同を和ませて頂き、晴れやかな良い旅の締めになりました。

ただ、写真に写っている私と言えば調子にのって前日から歩きすぎ、足腰が痛くて笑ってるつもりでも始終浮かない顔で写ってしまっていました。(笑

忙しく暮らしに明け暮れる日々の価値観とは全く違う、忘れ去っている何かを束の間取り戻したような安堵感が、また機会があれば行ってみたいなと思わせる旅でした。

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